本記事を含め、1日に全国各地で数百の報道記事が発信・掲載されているが本来報道記事はどのような役割を果たすのか。
〇事実の発信
全ての報道記事における基本は事実の発信にあるといっていいだろう。例えば「今日、○○町で強盗事件が起こり30代の男性が逮捕された。男は『金に困ってやってしまった』と述べている」という記事が発信されたとする。この一文には「いつどこで何があって誰がどうなったのか、どうしてそれが起きたのか」という5W1Hが明確になった情報が掲載されている。
〇判断材料の提供
その次に多いのが判断材料の提供だ。例えば選挙戦で候補者の紹介として「A候補は与党から出馬、駅前の再開発に賛成。B候補は野党から出馬、駅前の再開発に反対。」という報道が行われたとする
この時に報道を受け取った市民が自身の考えと照らし合わせて「A候補は再開発に賛成しているのならばA候補に投票しよう」「B候補が再開発に反対しているからB候補に投票しよう」と、報道の情報をもとに自身の行動や考えを判断することがある。
このような判断材料の提供はなるべく公平を保った記事が望ましい。片方の良いところばかりを記載した記事はその一方の宣伝をする広告記事とほぼ変わりなく、判断材料ではなく誘導になってしまう。
〇国民議論の推進
事実の発信の小題で記載した事件は「金に困ってやってしまった」と逮捕された男性が述べたが、この後捜査の進展とともに「男性は不景気のあおりを受けて失業し、生活保護も受け取れない状況であった」ということが判明したとする。
報道記事がその事実を報道することによって国民の中には「強盗はよくないけど事情が事情なので許してあげたほうが良い」という意見や「そこまで追い詰められたのは不景気にしてしまった政府や生活保護の受給条件に問題があるのではないか」など、受け取った情報をもとに判断した意見が出てくる。
もちろん政治家や学者もこの記事を目にすればどのようにするべきであるのか対策を訴えるだろう。そうして国民議論の推進を行うことが可能になる。
これらの3要素は報道記事において最も重要な3要素である。事実でない記事を発信することは国民に誤った判断材料を与え、論点が全く違う議論を推進することにもなるのだ。
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