「早いな」
率直な感想を尋ねると、ただ一言を返した。
「成功かどうかは歴史が答えを出すと思う」と短く話す。
行動の経緯については「当時京都支部長だった西村齋さんの方が詳しい」と前置きをしつつ「近隣住民からの苦情がメールの管理をしていた西村さんのところに届いた。近所に公園があると引っ越したら朝鮮学校がグラウンドとして使用しており、日本人の子供が邪魔扱いされている……というものだった」と語る。
奪還行動における役割はスピーカーの撤去作業であったという。紙に公園の当時の状況を書き出す。グランドには朝礼台やサッカーゴールもあった。
「警察が来たら間違いなく撤去をさせてくれない。真っ先に撤去するのが役割だった」
当時の勧進橋児童公園は阪神高速が公園の上を通過するようになり、グラウンドのような平地として使用できる面積が大幅に減少していた。
「朝鮮学校側は国会議員を通じて京都市と交渉し、別の公園をグラウンドとして使用することや、補償金の交渉をしていたと聞く。抗議行動で一連の補償問題はすべて消し飛んだ」
当時京都市が進めていた補償問題について説明したのち、笑みをこぼしながら言葉を続ける。
「税金を使わずに日本人の子供の笑顔が帰ってきたことが何よりだ」
一連の行動は刑事事件に発展。初公判時点で西村氏など一部の参加者が実刑判決を受ける可能性が浮上していた。
「西村さんは『自分の実刑判決は気にしなくてもいいから無罪を主張するべきだ』と語った。小さな子供がいるのに、そうやって語っていることに、熱いものがこみ上げ、すごく大きい男と一緒にいたことを誇りに思った」
一連の行動を振り返った中で「未成年者を連れて行ったことは唯一の反省点」としつつも「後悔はない。タイムマシーンで事件の前に戻れたとしてもやめさせることはしない」と前を向く。
「日本の国益を守るために参加できたことが誇り」と語り、「もし最前線の若者が同じようなことで行動するときが来たら経験談を語りたい」と若者へメッセージを送った。
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