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執筆者の写真日章新聞

「もう一度同じことが起きたら朝鮮学校に直接話に行く」勧進橋児童公園奪還15周年 荒巻靖彦氏特別インタビュー

「7~8年前、当時学校があったところにあるホテルの一階に集まったとき、子供たちが公園で遊んでいて間違っていることはしていないと実感した」

「事件後に3回公園に行ったが、三回目は子供であふれていたのがとても印象に残っている」

懐かしむように回想し、そうしみじみと語った。


事件の発端について、当時の状況を詳細に振り返った。

「近くのマンションに引っ越してきたおばあさんが、孫を公園に遊びに連れて行ったら公園がグラウンドとして使用されていた。きっとマンションの広告によくある『公園まで〇分~』を信じて買ったものだと思う。行政に言ってもダメだったので、京都支部長であった西村齋さんのところにメールが届いた」


メールを受けて西村氏と下見に行くも、鴨川の向かいにある勧進橋東公園に間違って足を運んだ。

「草がボーボーでこれはガセネタをつかまされたと……。近くの高校生に聞くと実は別の公園だった。日章旗や旭日旗を貼った車で正しい勧進橋公園に行くと、学校の職員らしき男が写真を取りに来た」

「学校の校門から公園に向かって、勝手に横断歩道のマークが書かれていた。サッカーゴールの後ろでは工事をしていて溶接機など危ない機材を扱っているのにボールが飛んでくる状態だった」


京都市市役所にも問い合わせるも「出来レース」に近く、市役所側は実態を知らないような回答をした。抗議に行くときには緑地担当に電話をし、スピーカーを使用していいかどうかを尋ね、許諾を得ていた。

「動画を撮るのを失念していて、いざ裁判となったら緑地担当は知らぬ存ぜぬを貫き通した」


いざ抗議に行くとき、緊張感はなかったという。

「当時は週三~四回は活動をしていた。いつも通りに活動に行く感じで特別な緊張感はなかった。当時やっている運動の一つであり、とても楽しかった。運動は楽しくないとあきません」

当時を振り返り、笑顔で楽しそうに語った。


「間違っていることはしていないと思っている。ひん曲がった針金を正しい向きに直すには一度反対方向に振り切ってからでないと中途半端にしか治らない。ああいうやり方をしないと正しいところまで治らなかった」

身振りを交え、当時の運動手法について振り返った。


もし同じことがあったらと質問をすると笑顔から一転し、真剣なまなざしで決意を語った。

「もし近所で朝鮮学校が同じように公園を不法に占有している事例があったとしたら、朝鮮学校や行政に直接話をしに行く。当時のようなやり方はしないが、移民政策から国民を守る党の政党活動をして、しっかり同じことをする」

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