八月になると、戦争の悲惨さを伝え、後世に受け継ぐことを目的とした特集が放送されることになる。
メディアジャーナリズムの世界では「八月ジャーナリズム」と呼ばれるものだ。一般的にイメージしやすいものとしては『火垂るの墓』なども八月ジャーナリズムの一種とされることがある。終戦から七八年となる今年も、数々の戦争関連の放送や特集が予定されている。
この八月ジャーナリズムはいつまで必要なのだろうか。確かに、災害や戦争の歴史を学ぶことは非常に重要である。そこから得られる教訓も多いだろう。現状の八月ジャーナリズムは単に「平和」を目的とし、平和を宣伝するためのコンテンツに成り下がっている。そこに正しい歴史や教訓というものは存在しない。戦争で得られる教訓を戦後体制の中で「平和」を強調するあまりに置き去りになっている。
こうした観点で考えれば、八月ジャーナリズムはすでに不要なものとなっている。
もし、八月ジャーナリズムを続けるというのであれば、どのような特集を組む必要があるのか。日本のために散っていた英霊や一般国民のエピソードはもちろんのこと、東京大空襲や原爆投下といった無関係な国民が大量に虐殺されたアメリカの戦争犯罪のことを取り上げていくべきではないか。
単なる平和の宣伝活動では意味がない。英霊を顕彰すること、日本のために散った人々に感謝と哀悼の意を捧げることが最も重要なことだ。
その上で無差別攻撃をしたアメリカを非難し、アメリカから原爆投下や東京大空襲について公式に反省することが表明されるまで「真の八月ジャーナリズム」が必要となってくる。
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