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執筆者の写真日章新聞

「テロに屈しない」はどこに行ったのか―一発の銃弾に屈した政治とメディア

宗教法人などによる悪質な寄付勧誘を規制する被害者救済法が1月5日に施行された。世界平和統一家庭連合(旧・統一協会)の悪質な寄付勧誘の実態を受けて法整備がおこなわれた。


この法改正のきっかけになったのは、昨年7月の安倍晋三前首相銃撃事件だ。それまでも統一協会による霊感商法や合同結婚式は議会においても追及が実施されてきた。しかし、こうした法律レベルでの対策は十分に実施されなかった。


これまでマスメディアは「テロに屈しない」として、アメリカ同時多発テロ事件(9.11)や浅沼稲次郎暗殺事件などでは実行側の政治的目的について賛同することはなかった。


今回、安倍氏を銃撃した山上徹也容疑者は統一協会による悪質な寄付勧誘の被害者であった背景が報道されたこと、日本の政治史においても重要な位置づけである安倍晋三氏の死去がその「テロに屈しない」姿勢に変化を与えた。


山上容疑者の政治的目的ともいうべき「統一協会」に対する世論の目はこれまで以上に激化し、ついには被害者救済法の施行に至ったのである。世論の意見が変化したことで、マスメディアや政治において重要な世論の支持を得るために、その方針が変化したのである。


山上容疑者の放った一発の銃弾が、世論を変化させた。統一協会に対する規制という面では正しいものの、「テロに屈しない」というこれまでの論調とは異なるものになったのだ。


マスメディアや政治はこれまでの「テロに屈しない」という姿勢については、反省するべき点がある。本当にテロに屈しないことが直ちに正しいことになるのかを検証した記事を掲載し、今回テロに屈した背景を説明することが求められるのではないだろうか。


確かにテロの政治的目標が世間一般とかけ離れたものもあるのは事実だ。その一方で戦前・戦後を問わず貧困に苦しむ国民を救うためのテロ事件や、日本の国益のためを思ってテロを実施した人物もいる。


テロを暴力行為であると判断して「屈しない」というメッセージを出していても、今回、屈してしまった事実がある。テロとどのように向き合っていくか、変化の時代だ。

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